今期の会長主題
「みんなちがって みんないい」・・・・クラブ活性化
3カ月休会という異常な状態で大阪サウスワイズメンズクラブ65期が始まりました。
今、私たちは、新型コロナウイルスのパンデミックの真っ只中にいます。いつまで続くかわからない『感染の不安』、「死 の恐怖」の中で毎日をすごしていると言っても過言ではないです。
このような状況で私のような船長のもと、船は出港しました。
そこで私は、この船に乗っていただいたみなさんに二つメッセージを送ります。
一つ目は、「感謝」です。今、私たちの生活は一変しています。会員の中には、クラブ活動に参加を続けて行くことが難し状況になっている方もおられると思います。なぜなら、それは、私たちが、このコロナパンデミックによって、経済的にも、精神的にも、肉体的にも厳しい状況に置かれているからです。この状況下で今期も会員として共に奉仕活動を続けていただけるみなさんに、敬意と心からの感謝を申し上げます。ありがとうございます。
二つ目は、「つなぐ」です。今期大阪サウスの主題は「みんなちがっていい、みんないい」です。今、私たちは見えない戦争の中にいると言われます。みんなが不安の中にいます。
だから私は、今期の我がクラブの活動方針を『相手を思いやる。相手を受け入れる。共に活動する。そして人間力を育てていこう。』としました。
クラブ全員が共に手を繋い(つなぐ)で、この不安に潰されない様に、みんなで不安な世の中の一隅を照らし,次に継(つなぐ)いでいきたいと思っています。
この一年よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
「朝と夕べの出で立つところには、喜びの歌が響きます。」
旧約聖書詩編65編9節 松岡虔一牧師
ベ-ト-ベン第九の大合唱も、ヘンデルのメサイア「ハレルヤ・コ-ラス」も中止され、自宅自粛を強いられた日々のなか、河内ワイズ全員の顔写真が印刷されたXmasカ-ドが届いた。離れていても密接に繋がっていることを実感し、嬉しかった。コロナ禍で先の見えない日々ではあるが、新年を迎え、先ずはワイズ皆々さまの健康と幸せを祈り、「ワイズソング」や「YМCAの歌」を高らかにライブラリ-に響かせたい。
“すべてに時がある“
(今は試練・忍耐の時、希望をもって歩む時)
表題は聖書(コヘレト書)に記されている御言葉であり、私の人生における生活の指標である。
いつ如何なる時・場面に出会ってもこの言葉を胸に刻みつゝ歩みを続けてきた。過去・現在・未来も同様である。
私達の日々の生活において平穏・無事は時ばかりでは無い。山あり谷ありの時・時において、気持ちに至っては喜怒哀楽が往き交うものである。
気持ちが沈む、つらい悲しい、落ち込む様な時行きどころの無い心の葛藤etc・・・。私がその様な時の心の拠りどころとしてきた御言葉である。家族間の確執であわや修羅場必死に止めに入った時、子どもの病い(心・身共)の時、母が急死した後のポッカリ穴の空いた空虚感におおわれていた時等常にこの御言葉により支えられてきた。つい最近「明るさと元気、胃腸の丈夫さ」がトレードマークと自負していた私にとって考えられない。私自身晴天の霹靂とも云える事が生じてしまった。
急な腹痛激痛にみまわれ救急車で緊急搬送され即入院。診察結果虚血性腸炎だろうとの見立て、何と!何と!この私が腸炎?え、ホント?信じ難い事であった。
それからは、絶食で点滴に繋がれ、腹痛・血便・下血に悩まされる日々が最初は、何で私が、よりによって腸炎?と思っていたが、少しずつ快復するに従い、今まで色々とあって知らず知らずの内に疲れがたまって,又ストレスも抱いていたのかも?知れない私に、神様がひとときの休みを与えてくださった。それとも“この時”だと入院生活の中で、じっくりと聖書を読み進めたり、讃美歌・聖歌をくちずさみつゝ過ごしていた。
入院当初6人部屋の病室に私を含め3人居たのだが、同室の方々が転室されたり退院されたりして、私1人に、大部屋に居ながら個室さながら状態に。その為に誰気兼ねなく、小声ではあるが声を出して讃美歌等歌う事が許される日々心のやわらぐ主の恵みのひとときと感謝しつゝ過ごす事が出来た。 “すべてに時があるそれは時にかなって美しい”(コヘレト書)一人、一人 時・時がある。今はこの時なのだと思う事。そう思う事で色々な事を乗り越え、乗りきれるのではないでしょうか?
くよくよしないで、プラス思考で、常に喜び・感謝の日々を過ごせるのではなてだろうか?
今はコロナ禍で大変な時だけど試練・忍耐の時だけど「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共にそれに耐えられるよう逃げる道をも備えていてくださいます。(ⅠユリントID:13)」
今こそこの御言葉を信じコロナ禍の収束(終息)を祈念しつゝ過ごす時ではないでしょうか。共に手をとりあって笑いある日を待ち望みつゝ。
一人・一人は微力であっても無力ではないのだから、今何が出来るのか?を考え共に希望をもって歩んでいきたいものですネ! “この時”を感謝しながら。
日 程 |
プログラム |
---|---|
2020.11.10(火) 18:30~20:30 |
65周年記念例会 演題:難民問題の現状とUNHCRの活動について 👉 詳細 (芳島 昭一氏) |
2019.5.7(火) 18:30~20:30 |
公開例会 演題:刀剣の世界へようこそ(川見典久氏) 👉 詳細 |
2019.4.2(火) 18:30~20:30 |
公開例会 演題:若者のボランティア活動と成長(石田易司氏) 👉 詳細 |
2019.1.14(月) 12:00~15:00 |
新年合同例会 |
2018.11.6(火) 18:30~20:30 |
公開例会 演題:Napoleon(アンドレ・アンジェイ氏) 👉 詳細 |
2018.10.2(火) 18:30~20:30 |
公開例会 演題:出会いが人生を創る縁の力(木下康生氏) 👉 詳細 |
2019.4.2(火) 18:30~20:30 |
公開例会 演題:若者のボランティア活動と成長(石田易司氏) 👉 詳細 |
惠美奈博光
1956年4月7日、私どもの大阪サウスワイズメンズクラブは南大阪、天王寺の地にうぶ声を上げた。また、同年6月19日には大阪YMCAアベノ橋ブランチにて大阪クラブのスポンサーで国際協会よりの加盟認証状伝達式(チャーターナイト)が盛大に執り行われた。初代会長は荘司正雄さんで後に中西部部長も歴任された銀行員の方とお聞きしている。クラブ発足当初には数名の外国人メンバーがあり日本で最初のカタカナ表示のクラブ名となったようだ。
5周年、10周年、15周年と順調に発展を続けることができ、私もいつの間にか最も若い会員としてクラブの一員に加えていただくことになった。そして創立20周年の1975年7月から若輩の私がクラブ会長として推挙され何もわからない中で多くの先輩諸氏にお助けをいただき、何とか使命を全うすることができた。日本で初めての国際大会が熱海で開催された、とても忙しい年度だったが、この時に創立記念事業として大阪河内ワイズメンズクラブのスポンサークラブ(親クラブ)として設立のお手伝いをさせて頂いた。
以後、クラブは周年を迎えるごとに記念事業を行っている。 25周年には南YMCAにグランドピアノを寄贈し、後に長く4階のホールで愛用されていた。
30周年にはバングラデシュ・ポイルジャナYMCA支援のために30万円を日本YMCA同盟主催のアジア・スタデイーツアーを通じて持参して頂いた。
40周年は六甲YMCAで開催された第2回西副区大会のホストクラブとしてクラブ会員全員で六甲に泊りがけでのぼり大会の成功につなげた。45周年の事業としてはキャンプ用のテント10張りをYMCAに寄贈した。
クラブ創立50周年には自動車(バン)を南YMCAに寄贈した。続いて60周年には45周年と同じ南YMCAにテント10張りを寄贈し、また第19回西日本区大会のコウホストクラブとして大会成功に協力させて頂いた。
さて、今年度クラブ創立65周年を迎えるにあったっては、記念事業や祝会そして記念誌の発行などを考えながらも、どのように進めていくかをクラブ内でも検討し、まだ記憶に新しい8月は通常、納涼例会だったが予定を変更して「クラブ創立65周年を迎えるにあったって」をテーマにクラブフォーラムを開催し、そしてどのように進めるかを話し合った。最近の新型コロナウイルスの感染が蔓延する中で前年度後半は数か月にわたり例会の休会を余儀なくされていた、社会状勢も外出自粛や三密を避けた行動、遂には政府による緊急事態宣言が発せられ集会の自粛や小学校や中学校、各種学校の休校が相次いだ。YMCAの活動も大きく制限され、日本語学校で勉学する留学生の多くも学校に行けず、アルバイトもままならず、働く場所も減少し、その上に本国に帰国することもできない非常に厳しい状況にあることがわかってきた。
フォーラムでの話し合いは記念誌を取りやめにし、記念祝会も通常の例会に「クラブ創立65周年記念」として2021年4月の第一例会日に開催することに落ち着いた。
記念事業は、厳しい新型コロナ禍にある社会情勢にかんがみいろいろと検討し、先のYMCA日本語学校に通う留学生の苦しい現状を支援することで、困っている学生を援助することが話し合われた。そして色々討議した結果、大阪サウスクラブ65周年事業として南YMCAを通じて留学生支援のために、一金200万円を役立てて頂くことに決定した。クラブとしては今までで最も大きな出費になるが、厳しい状況の中にある困窮者のために、多くの先輩たちの多大な努力の賜物が今日の65周年を迎える喜びとなり、また大阪サウスクラブ会員一人一人が今まで連なってくださった諸先輩とともにこの時を迎え、シェアーしあって深い感謝の気持ちを添えて贈らせていただきましょう。と全員の賛同を得た。
結びに、いつまでも南YMCAと大阪サウスワイズメンズクラブが手を取り合って地域に良い奉仕が展開され、ともに これからの益々の発展を願いつつ・・・・・・アーメン
中村勝吾
今年の春、中国武漢で発生したコロナヴィルスが瞬く間に全世界に蔓延し,我が国も今第2波の渦中にあり、大規模な記念行事の計画は自粛されているが、この機会に、創立以来之まで4回発行された記念誌を見ながら感想をまとめておきたい。最初の創立20年の記念誌は1976年、恵美奈博光会長の下に発行され、たまたま中村が編集の責任をもった。当時の会員数は46人で、チヤータ―メンバーもかなり残っておられ、創立当時の事情を中心に、特徴ある行事などを坦当された方々に執筆して頂いた。記念行事の一つとして、河内ワイズメンクラブ創立のスポンサークラブとなり、私のこれまでのワイズ歴を振り返っても、サウスワイズメンクラブも私自身もかなり盛り上がった時期であった。
2回目の記念誌は創立30年の発行で、宮崎幸雄主事が世界YMCA同盟の難民救済事業の責任者として活躍された時で、国際的なつながりを意識して編集されている。 次は創立50周年の記念誌で、故山口肇メンが記念誌編集委員会を何度も開催して計画し、サウスのメンバー全員が執筆に参加し、カラー刷りの内容豊かな記念誌が発行されている。
創立60周年の記念誌は2016年5月に、ブラザークラブであるテグ‐アルファークラブからメネットを含めて17名のメンバーを迎えて開催された記念例会のブリテン特別号として実行委員長鈴木良洋メン達によって発行されている。毎年の年中行事の詳細な記録のほかに平成24年から27年の間に13回にわたって実施された福島飲料水支援活動(東日本大震災支援活動タスク委員会担当)の詳細な記録が記載されている。又私達の会員の1人である松岡虔一牧師が1981年から今日に至るまで毎月休みなくブリテンに聖句を選択してメッセージを執筆下さっているが、この記念誌には2006年7月から2009年2月までの文章のコピーが添付されている。カラー写真満載の記念誌を(百聞は一見にしかずとか)感心しながら見治しています。ただ、60周年記念誌が発行された当時の会員24名の内、現在までに昇天されたメンバーが6人、転会又は退会されたメンバーが4人で、この5年間で激減している事が気に懸かります。最近は国内外の経済環境や社会条件を考えると止むえないかも知れないが、九州部やびわこ部の成長ぶりを見ると希望は残されている。 いずれにしても継続は力なり、協力して荒波を乗り越えて行きたいと願っている。 松岡虔一
☆山口 肇メンはサウス唯一の創立メンバ-で、大和郡山から皆出席されていた。数年前の例会で「天王寺七坂」について興味深い話をされた。私は40才台を天王寺区の聖愛教会で過ごしたが、愛染坂以外は通ったことがなく、いつの日か七坂を登りたいと願いつつ、今日まで実現していない。肇メンの訃報はショックであり、サウスは大黒柱を失った。☆ある年に、南YМCAは七坂を登りつめた台地に分館を建設した。語学学校や定時制高校が使用した。落成式のあと、参加したサウスの数人で松本三枝子メンを激励した(本人は忘れているだろうが)。強い後押しを受けて松本メンは女性初の阪和部長を引き受け、東日本大震災「飲料水支援」のきっかけを作ってくれた。
☆阪和部会かなにかの大会で鷲谷糸津子メンが花柳流の日本舞踊を披露された。出演前に楽屋で黙想している彼女を見かけ声をかけたが、終了後激しく叱責された。出番前には静かに黙想するそうである。彼女の学生時代にご一緒した「阿南海洋センタ-」での水着姿が眩しく脳裏にある。☆長崎で育ち東京の立教大学神学部で七年間学んだ私は、卒業後大阪の川口教会副牧師として2年間子坊主役をつとめた。同志社大学生の鈴木璋三メンに出会ったが、江戸言葉に慣れた私には彼の関西なまりは外国人に接するようであった。48年間のお付き合いであったが、彼を失ったショックはあまりにも大きい。
☆数年前に鍛冶田千文館長が、関西で活躍する女性に贈られる「さくや姫彰」を受賞され、うれしかった。次はサンホ-ムの北野さん、その次は南Yの鈴木えみさん、と期待して待っていたが、最近の新聞で「さくや姫彰」は今年度で廃止されると知って「ガックリ」した。2人にはお祝いのプレゼントまで準備していたのに、「どうしてくれる」の心境である。☆南Yに出入りしていた初期の頃「ブ-やん」とよばれ、親しまれていた主事さんがいた。いつの頃か南Yの運営委員会で明るく快活に説明される主事がおられ、阿南海洋センタ-に転出された。親子なのか兄弟なのか、不明である。そういえば東YМCA時代に鈴木えみさんを「鈴木誠也主事」の娘と信じ、体は小さくても大きな子が生まれるものだと思っていた。、☆東良學メンの急逝は最大のショックである。2017年6月の例会の司会を元気にされ、6月末には私に年度会計報告を詳しく説明された。7月わたしは脳梗塞で急遽2ケ月の入院、退院まぎわの8月末に東メンの訃報に接し驚いた。私は入院の前に「7月の聖句」を東メンに送信したが、5月の泉北例会での落語大会に出演された3人の評価を記した、遠藤さんが十両であとの2人は幕下であった。幕内への昇進を期待しているが「この聖句」がお蔵入りとなったのは残念であった。
中村勝吾
今年の春、中国武漢で発生したコロナヴィルスが瞬く間に全世界に蔓延し,我が国も今第2波の渦中にあり、大規模な記念行事の計画は自粛されているが、この機会に、創立以来之まで4回発行された記念誌を見ながら感想をまとめておきたい。最初の創立20年の記念誌は1976年、恵美奈博光会長の下に発行され、たまたま中村が編集の責任をもった。当時の会員数は46人で、チヤータ―メンバーもかなり残っておられ、創立当時の事情を中心に、特徴ある行事などを坦当された方々に執筆して頂いた。記念行事の一つとして、河内ワイズメンクラブ創立のスポンサークラブとなり、私のこれまでのワイズ歴を振り返っても、サウスワイズメンクラブも私自身もかなり盛り上がった時期であった。
2回目の記念誌は創立30年の発行で、宮崎幸雄主事が世界YMCA同盟の難民救済事業の責任者として活躍された時で、国際的なつながりを意識して編集されている。 次は創立50周年の記念誌で、故山口肇メンが記念誌編集委員会を何度も開催して計画し、サウスのメンバー全員が執筆に参加し、カラー刷りの内容豊かな記念誌が発行されている。
創立60周年の記念誌は2016年5月に、ブラザークラブであるテグ‐アルファークラブからメネットを含めて17名のメンバーを迎えて開催された記念例会のブリテン特別号として実行委員長鈴木良洋メン達によって発行されている。毎年の年中行事の詳細な記録のほかに平成24年から27年の間に13回にわたって実施された福島飲料水支援活動(東日本大震災支援活動タスク委員会担当)の詳細な記録が記載されている。又私達の会員の1人である松岡虔一牧師が1981年から今日に至るまで毎月休みなくブリテンに聖句を選択してメッセージを執筆下さっているが、この記念誌には2006年7月から2009年2月までの文章のコピーが添付されている。カラー写真満載の記念誌を(百聞は一見にしかずとか)感心しながら見治しています。ただ、60周年記念誌が発行された当時の会員24名の内、現在までに昇天されたメンバーが6人、転会又は退会されたメンバーが4人で、この5年間で激減している事が気に懸かります。最近は国内外の経済環境や社会条件を考えると止むえないかも知れないが、九州部やびわこ部の成長ぶりを見ると希望は残されている。 いずれにしても継続は力なり、協力して荒波を乗り越えて行きたいと願っている。